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むやみに呼ぶな! '嬖人ドラマ'の法則
2008/10/17(Fri)

2003年、MBC「朝鮮女刑事茶母」(演出イジェギュ、執筆チョンヒョンス)を通じて、ドラマペインが初めて登場した。 ‘ペイン’は愛する(嬖)人であるという漢字を使用、 愛する人という意味を抱いている。

「朝鮮女刑事茶母」(以下「茶母」)が通常のマニアドラマと区別される理由は、まさに嬖人文化にある。ドラマというコンテンツが持ったソースを活用し、ドラマ初のwebzine、 インターネット放送、fan fic、団体観覧、ドラマ小物共同購買、撮影地巡礼、各種パロディー物など、ペンドム文化が形成された。


「茶母」が見せたペンドム文化は双方向文化コミュニケーションを見せた。 ドラマで初めて、嬖人たちの知りたい事と要求に、制作陣はインターネット視聴者掲示板を通じて返事をした。

メディアに応じる収容者たちの積極的な文化コンテンツ参加は、その意味と効果が大きかった。ベンドム文化が持った文化的訴求力は想像を超越した。ドラマ「茶母」の人気に負って、映画「刑事」が制作されたりもした。また、忘れられた原作漫画の再出刊も導き出した。このようなことは文化研究者たちの間でイシューになっただけではなく、これまで視聴率という断片的な定規にだけ評価されたドラマ市場の幅を広げるきっかけになった。

作品性とマニアファンを念頭に置いた作品が活発に企画された。その理由は IMBCを通じるドラマのタシポギの収益が想像を超越する程に高かったからだ。

2008年、もう一つの嬖人ドラマMBC「Beethoven Virus」 が登場した。イジェギュ監督はクラシックという異色素材を表現するにあたって、ヒューマニズムを借りて来た。忘れてしまった夢を見つけて出発する平凡な人々のクラシック話は、老若男女共感台を導き出すに十分だった。 それなら、大衆ドラマだ、嬖人ドラマだとは言えないのではないか?この質問に対する答えは ‘ベバ嬖人’から見つけることが出来る。

「Beethoven Virus」はfan ficとパロディー物でベバ嬖人によって再解釈されたりもする。Dcinside「Beethoven Virus」ギャラリー(以下「ベバゲル」)、Daum テレジョン、 IMBC「Beethoven Virus」ホームページなどには、ドラマのキャプチャー画面を利用したパロディーと嬖人たちの想像力が発揮されたfan ficの数々であふれている。

▲Dcinside「Beethoven Virus」ギャラリー写真提供トベンイ、デザイン NOTO

また、ドラマに使われた各種小物共同購買、及び撮影場巡礼は嬖人ドラマの特性を踏襲している。「ベバゲル」では「Beethoven Virus」のステッカーを制作、これから毛布と指揮奉共同購買を控えている。 イジェギュ監督のファンクラブと芸能人ファンクラブは、互いに先を争って制作陣におやつイベント、及びプレゼント攻勢をしている。

このように ‘嬖人ドラマ’は自発的参加で成り立つ。 ‘茶母嬖人’という言葉が登場した後から、一部ドラマでは広報手段として、商品をかけてドラマファンを称える愛称公募展を開いたりもした。また、放送社たちは視聴率が低調な一部ドラマに ‘マニア’、 あるいは ‘嬖人ドラマ’と名付け、自らを慰めたりもする。すなわち、放送社側の広報戦略で作られた ‘嬖人ドラマ’は存在し得ない。

「茶母」 以後、嬖人ドラマの命脈を引き継ぐ作品としては2005年に放送されたKBS「復活」(演出/パクチャンホン、執筆/キムジウ)と2007年に放送されたKBS「魔王」(演出/パクチャンホン、執筆/キムジウ)がある。

これら嬖人ドラマは視聴率面では大きく成功しなかったものの、ドラマ嬖人たちに脳裏にめり込む作品として記憶される。嬖人たちの要求で事前予約制 DVDが発売開始されたりもした。今も相変らず作品を偲び、記憶する嬖人たちがいるドラマこそ、真の嬖人ドラマではないか。

クヘジョン記者 august1410@naver.com

[tvreport]2008年 10月 17日 (金) 10:42:50
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[美味しいドラマ] フュージョン史劇に一杯に咲いた梅の花
2008/06/12(Thu)
深い夜、梅の花が飛び散り、主人公の男女が向い合うシーンはフュージョン史劇になくてはならない要素になった。史劇にこのような梅の花が飛び始めたのは、2003年に放送されたMBC「茶母」(イジェギュ/演出・チョンヒョンス/シナリオ)に遡る。

「茶母」の梅の花のシーンは、 “痛いか、私も痛い”という名台詞が誕生した場面でもある。茶母チェオク(ハジウォン)の怪我をした腕を治療するファンボユン従事官(イソジン)の、かなり低い声が魅力的だったこの場面は、ドラマ放映後、「茶母」を視聴していない人々も皆知っている程に有名になった。

‘空の下に新しいものはない’という言葉が合っているのか。ドラマ「茶母」以後、フュージョン史劇には梅の花のシーンがたびたび登場したし、これらは視聴者たちの目の保養として落ち着いた。

一番先に見てみるドラマは、イサン正祖を素材にして作ったMBC「イサン」とKBS「漢城別曲」だ。少しは違う性格と呼吸を披露した二つのドラマには、「茶母」と驚くべき程に似ている梅のシーンが並んで登場した。

「イサン」の梅の花のシーンは、ソンヨン(ハンジミン)がイサン(イソジン)の求愛を受け入れて再会する場面に使われた。花びらが降る夜の風景は、結実を結ぶ二人の哀切な愛に祝いを送るようにロマンチックな雰囲気を演出した。

「イサン」の梅の花のシーンが幸せなイメージを象徴したとすれば、「漢城別曲」の梅の花のシーンは悲しい別離を盛り出していた。「漢城別曲」では正祖(アンネサン)を殺害する為に内人(女官)に偽装したナヨン(キムハウン)と、異なる政治理念を持った情人サンギュ(チンイハン)の悲しい別離を梅の花のシーンに盛ってイメージ化した。

もう一つの感動的な梅の花のシーンが登場したドラマはSBS「イルジメ」だ。ギョムイ(イジュンギ)は悲劇的な過去を記憶して、幼い時代に自分が住んでいた古屋の庭先梅の前で嗚咽した。「イルジメ」の梅のシーンは飛び散る梅の花に付いて梅の前まで来たウンチェ(ハンヒョジュ)と、梅を間に置いたギョムイの初めての出会いを夢幻的な雰囲気で描いた。イジュンギの涙の熱演が引き立った場面で、視聴者たちに熱い賛辞を受けた。

その外にも、フュージョン史劇KBS「快刀ホンギルドン」と KBS「ファンジニ」にも梅の花のシーンが登場、視聴者たちの目を引いた。「茶母」 のある関係者は「飛び散る梅の花を演出する為に、折り紙を切って飛ばし、一粒も残らずまた拾って盛る為に一晩中苦労した。」とその日の撮影を思い出した。刻苦の努力の結果に誕生した「茶母」の梅の花のシーンは、 ‘初めて’ということにあって意味ある演出として評価を受ける。

粹な演出感覚を持ったイジェギュ監督の手から誕生した梅の花のシーンは、今も多くのフュージョン史劇を通じて新しく生まれている。既に作られたものに対する繰り返しではないフュージョン史劇の新しい試みと挑戦を期待する。

クヘジョン記者 august1410@naver.com

tvreport]2008.06.11
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「茶母」で花開いた実験精神、「ファッション70s」で消え失せる
2007/11/16(Fri)
[スターはいない 5] スターPD(3) イジェギュ
- あまりに早く‘金の味’を知ってしまった、あまりに早く ‘システム’に手懐いた


私も痛かった。
従事官ファンボユンとチェオクが互いの傷を撫でる時、周囲は彼らの一言プロポーズを聞く為に固唾を呑んだ。彼女を愛して以後、一日も深く眠ることが出来なかったファンボユンが、いよいよチェオクの腕の中で‘深い眠り’についた時、ドラマ「茶母」は伝説になった。愛によって他の愛を切らなければならなかった悽絶な3人の運命は、視聴者の‘心臓を抉ってしまった’。

イジェギュの演出デビュー作だった2003年のMBCドラマ「茶母」(シナノオ/チョンヒョンス)は、そのように終わっても終わらないドラマとして嬖人現象を駆って来た。

史劇にも‘嬖人’が出来得る、という事実を「茶母」以前はまだ分からなかった。インターネットとケーブルへと去ってしまったと思った新世代の視聴者たちが帰って来たのだ。奇現象だった。同時代の若い視聴者たちが、このドラマの一場面、一言から目と耳を放すことが出来なかった。映像世代を捉える新しい演出者の誕生だった。

「茶母」、慌惚な実験精神

「茶母」は悲劇の精髄を見せてくれた。
同じ空の下、共存することが出来ない3人ファンボユン(イソジン)-チャンソンベク(キムミンジュン)-チャンチェオク(ハジウォン)の出会いと行き違いは、‘運命的愛’そのものだった。ソンベクとチェオクが別れた兄妹という出生の秘密が主要プロットだったが、全く常套的ではなかった。出生の秘密と三角関係は適材適所で悲劇の深みを加えた。

「茶母」制作陣が史劇の形態を借りたのは、実際一番劇的で運命的なラブストーリーをきちんと解く為のように見えた。これ以上‘運命’が互いを引き離し難くなったラブストーリーで、劇的なメロドラマを作ることは実に難しくなった現代を背景にしない理由だ。同世代の感受性に朝鮮時代の服を着せた‘フュージョン史劇’「茶母」の選択は卓越だった。

両班の庶子として生まれた従事官ファンボユン、叛軍の頭領チャンソンベク、この2人共を愛する女刑事(茶母) チェオク。彼ら3人が出会う場面は互いの運命が衝突する地点だった。通常のメロドラマではなかった。会えば黒くぶつかり、血が飛び散った。その愛は血を要求する愛だった。誰かが血を流してこそ維持される愛だった。誰かが命を賭けてこそ成り立つ愛だった。生きては決して成すことが出来ない縁だった。

愛する女人に愛を告白する瞬間さえ、空中で剣同士をぶつけ合う雨の中の対連場面だった。‘従事官ナウリ’が愛されることは、それで慌惚な苦痛だった。ファンボユンとチェオクが互いにし得ることは、ただ生き残ることだけだった。生き残るように恐ろしく鍛錬させることだけだった。 彼らは愛するのに死に物狂いで、互いの首を狙った。 空中で刀のぶつかる音だけが聞こえる沈黙は、しかし心臓の音よりもっと騷騷しかった。息が詰まった。 かつて、こんなラブシーンはなかった。このように激しい愛の告白はなかった。

台詞は大部分1行だった。いや、一行もとても長かった。愛も悲しみも、述語一言で終わってしまうのが常だった。
チャンソンベクの本拠に入って行こうとするチェオクを、突然抱きしめながらも、“行け”と言うしかないファンボユンの反語法、それが「茶母」の話法だった。短縮語がより多い感情を伝達した。節制された台詞は、断末魔の悲鳴と溜息だけでも、山のような愛を伝達するのに成功した。

チョンヒョンス作家は、台詞が即ち‘アクション’というのを知っていた。言わないことで、より多い言葉を吐き出す方法を知っていた。演出は場面と符合しない、そのすべての手写は蛇足なのを知っていた。彼らはよどみなかった。不必要なことは敢然と取り除いた。
「茶母」は、初めの場面から最後の場面まで小奇麗だった。 プロットは単純だったが、精巧だった。最後まで緊張感が生きていた。3人の主人公の愛は、それで希代のラブストーリーになった。と、言えども「茶母」は官軍で死んだ兵士たちの姿までも憐愍に扱った。カメラは世の中を丸ごと盛ってしまうことが出来なくて息苦しがった。ブラウン管をかき分けることが出来なくて揺れた。

「茶母」の成功以後、‘フュージョン史劇’だけが成功するという公式ではない公式を作り出し、幾多の亜流作を量産させた。
演出者イジェギュと作家チョンヒョンスが自分たちの名を賭けて作った初作品「茶母」は、そのように史劇の流れまで置き変えた。
チャンソンベク(キムミンジュン)の最後の台詞は現実になったのだ。
“私が死ねば、人々が道を作るのだ”と語った彼の壮語通り、新しい‘道’、新しいジャンルの出現だった。

映像世代の威力を見せつけた「茶母」

俳優たちは勿論、作家と演出皆「茶母」終映以後は、これ以上‘新人’ではなかった。デビュー作が直ちにスター級に繋がったのだ。
イジェギュPDはドラマ界のスターに浮び上がった。1996年にMBCに入社し、日々劇「ポゴトポゴ」、「クッキ」「アジュムマ」のアシスタントディレクターを経たイジェギュPDは、「茶母」でドラマ演出者の世代交代を予告した。
ドラマ関係者たちは彼を‘不十分に熟したリンゴ’と評価しながらも、彼の歩みに注目しなければならなかった。単純に青二才のアクション活劇程度で心に刻んでおくことが出来なかったのだ。彼は映像で思考することが出来た。彼のドラマが持った‘魔力’の秘密だった。 爆発的な反応は、もしかしたら当たり前だった。イジェギュは視聴者たちが喉が乾くように待った、正しくそれを持って現われたからだ。

‘茶母嬖人(廢人)’シンドロームは、国内で新しい文化現象として広まり、「茶母」は海外でまで好評を博し、2004年にシンガポールで開催された第9回「アジアTV賞」でドラマ部門最優秀作品賞を受賞したりもした。映像文法こそ新世代の新しい万国公用語であることを再確認させたわけだ。ドラマ制作者たちがそのように、切なく渇求する魔法の注文 ― 同世代との共感を引っ張り出すコードをイジェギュは、もう悟ったように見えた。

‘嬖人’らが、果てしなく「茶母」の名場面と名台詞を回して見ている間、彼の後続作ではなく辞職の消息が聞こえて来た。
イジェギュPDは2004年4月、「ベスト劇場~少林寺にはお兄さんが住む」 (シナリオ/チョンヒョンス)を最後にMBCを去る。以後、キムジョンハクプロダクション所属のPDになったイジェギュは、2004年5月、SBS24部作HDドラマ「ファッション70s」(シナリオ/チョンソンヒ)を披露した。

「ファッション70s」、失敗する自由を封鎖された‘システム’の組合

「ファッション70s」が放映された初日、‘嬖人'たちは演出者の名を再び確認しなければならなかった。確実に彼が作ったのか?信じられなかった。血が飛び、肉が取られるラブストーリーを、身の毛がよだつように美しく表現したイジェギュPDは消え失せていた。精巧にプロットを組み、果敢にカメラを回したその‘実験’が消えたのだ。

2番目の作品「ファッション70s」でイジェギュの演出は完璧に変わっていた。誰より安定して粹なトーンで映像を合わせた。確かに映像を作る色は老練していた。苦心の跡が見えた。
しかし、演出がHD級カメラを恐れて緊張する小さなキズがありありと見えた。‘失敗’出来ないという心忙しさが、画面全体を支配していた。

「ファッション70s」はその過程や結末によって、とても慣れたドラマで終わってしまった。 筋書やエピソード、キャラクターどれ一つとして食傷しないものがなかった。韓国人にはあまりにも慣れた設定に慣れたエピソードに慣れた話法が毎回続いた。‘後先になった子供’と‘初恋’という、チョンソンヒ作家がもう何度も書いて来たお決まりの筋書も魅力がないのは同じだった。朝鮮戦争直後のファッション変遷史という派手な目の保養を期待したが、それは仄めかすだけになってしまった。

時代劇「ファッション70s」に ‘ファッション’はなかった。あるのはただ、後先になった子供と後先になった運命、我が娘を貴婦人に作ろうとするオミ(ソンオクスク)の執着と悪魔的な母性愛だけだった。ソンオクスクは、この方向を喪失したドラマの‘柱’の役目を引き受けて、最後の回まで悪役を専担した。

筋書は毎回少しずつ修正され、ファッションに対する部分はますますもっと減った。 口だけで服を作ってファッションを詠じまくった。こまごましい個人事と過去の秘密だけが、思いきり繰り返され、‘ファッション’は陷沒されてしまった。甚だしくはファッションを標榜したドラマが、服を直接デザインして制作しない、飛ばし制作が続いた。2005年に販売されている服が堂堂とドラマの小物として登場した。

イジェギュの映像美、アマチュアリズムの勝利か?

重要なことは「ファッション70s」に対して、誰も‘演出力’を論じなくなったという変化だった。
24部作が放映される間に関連記事は皆、視聴率の数値を伝える内容だけだった。スターPDの真価は、ただ視聴率の数字にだけ評価を受けるのが至上というSBSの慣行だった。ドラマ「ファッション70s」は終映が近付く程に満身創痍になって行った。しきりに新しいエピソードが追加された。新しさというのはなかった。どこかでたくさん見て来た古臭い設定の数々と、見なくても幾列にも諳んじられるお決まりの台詞の数々、そしてどんな意味もなしに主人公の顔だけクローズアップする‘平面’が繋がった。

「茶母」はもしかしたら、‘アマチュアリズム’の夢のような勝利だったのかもしれない。失敗する自由と度胸を持った者の蛮勇であったのかもしれない。
2番目の作品で完全に固有性とアイデンティティを忘れてしまったイジェギュの演出は、失敗する機会を遮断された‘システム’の現実を現わした。

彼はまるで「茶母」でチャンソンベクがチェオクにした要請のように“過ぎた事は皆忘れて”捨てたようだった。そうだった。視聴率が唯一の定規になる状況で‘真剣勝負’は立つ席がなかったのだ。
“お前は自分の剣に、いくら自信があるのか?”と問ったファンボユンの意気、‘空’も切り取ってしまうというチャンソンベクの悲壮さえ、視聴率グラフの前では伸び伸びとすることは出来なかった。‘市場’で残る程度のみすれば良かった。他人が行った道を、また踏めば良かった。何としても、2桁の数字以上の体面の繕いをするのが重要だった。

彼が2番目で選んだ職場こそ、殺戮の戦地だった。生き残るのが何より重要だった。そうではなければ ‘次’がないからだ。

キムウォン文化評論家

[dailyseop]2007-11-16 11:04:00
http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=67490
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「茶母」嬖人たち、「イサン」に登る
2007/10/06(Sat)
数多い‘嬖人’を作り出したMBCドラマ「茶母」の愛聴者たちが「イサン」へと寄り集まっている。ドラマ「イサン」が多方面て゜「茶母」を連想させるからだ。

最大の連想点はイサン役のイソジン。
「茶母」でハジウォンに向ける哀切な愛を演じたイソジンは、‘茶母嬖人’を引き入れる主要原因になっていることと分析される。「茶母」の従事官ファンボユン役で、線は太いが一人の女性に対する繊細な演技で好評を博したイソジンだ。

「イサン」でも、ソンヨン(ハンジミン)との幼い時代の思い出を思い浮かべる‘正祖大王’の姿を演じて視聴者たちから愛されている。王のカリスマと繊細な男性の恋心を取り揃えた姿だ。イソジンの相手役が'茶母’の身分という点も要因だ。 後日、宜嬪 成氏姓になるソンヨンは ‘随従茶母’の身分でイソジンと再会する。

‘茶母嬖人’たちは「茶母」カフェーに再び集まって来て、ドラマ「イサン」の話をしている。あるヌリクン(ネチズン)は「'イサン'を見る度に'茶母'が思い出される。」とカフェーに書いた。また別のヌリクンは「ソジントリョンが久しぶりに史劇をする姿というのは、到底言葉で表せないほど良い。」と書いた。他のヌリクンたちも‘茶母嬖人’が‘イサン嬖人’になって行っているという反応だ。

インターネットでは「茶母」と「イサン」を合成した掲示物も見られる。目立つ掲示物には、ドラマ「イサン」のイソジンと「茶母」のハジウォンの姿を一緒に掲示した姿だ。掲示物はまるで、正祖(イソジン)が女刑事茶母(ハジウォン)に会うような場面を演出している。

このような掲示物を見たポータルサイトDaumのヌリクン、サンタは「茶母が懐かしい。(ソンヨン役を)ハジウォンがしてもよく似合ったはずだ。 一番よく似合うカップルだと思う。しかし、今はソンヨン役にはハンジセミンがピッタリだということも否定することが出来ない事実だ。」と書いた。

キムソンミン記者

[dailian]2007-10-05 16:36:53
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?id=84290
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「茶母」、インドネシア1億2800万名が見る
2007/05/26(Sat)
ハジウォン主演のMBCドラマ「朝鮮女刑事茶母」(以下「茶母」)がインドネシアの23のTV放送社で連合放送される。

「茶母」は来る6月4日午後6時(現地時間)からインドネシア全域の23の放送社衛星を通じて月曜日から金曜日まで現地視聴者たちに会う。

インドネシア語の字幕で放送される「茶母」の予想視聴者は1億2800万名。 2億2000万名のインドネシア人口の半分に達する数字だ。

MBC側はインドネシアの78の地方放送社の3分の1にあたる23放送社が連合放送に参加することにより、これまで東南アジア他の国々より比較的韓流の勢いが弱かったインドネシアに強い韓流風を起こすことで期待されると明らかにした。

一方、MBCは今回の「茶母」の放送をはじまりに、インドネシアの23のTV放送社を一つの衛星にまとめ、MBCドラマを同時に放送するad-hocネットワークを始める。ad-hocネットワークとは、全国規模ではない地域放送社が必要な時に制限的に連合、ネットワークを構成して等しい事案を同時に放送する臨時ネットワークを意味する。

これによって1週間に5日間、ゴールデンタイムの1時間、MBCドラマが持続的にインドネシアに放送される。MBCは「茶母」以後もドラマをインドネシア側にずっと供給し、韓流拡散を主導して行くという計画だ。

一方、現地主管のプロダクションであるJMBは、インドネシア親局であるJTVと共に、来る5月28日午前 10時にジャカルタで放送関連記者会見を開く予定だ。

キムヒョノク記者

[moneytoday]05/24 11:20
http://star.moneytoday.co.kr/view/star_view.php?type=1&gisano=2007052411172455733
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「茶母」、フランス版DVD発売開始!
2007/04/25(Wed)
2003年 7月、人気裏に放映された MBC ドラマ「朝鮮女刑事 茶母」(以下「茶母」)が 4月 4日、フランス全域に DVDで配給された。

フランスのある独立配給社とGaumont Columbia Tristarの共同配給で全世界で成功したアジアの大作ドラマで紹介されたのだ。

ヨーロッパでキムギドク監督の「春.夏.秋.冬そして春」、パクチャヌク監督の「オールドボーイ」などの作品性の高い韓国映画はアート映画館を経て TVで放映され、 DVDに発売開始された事例があった。

しかし、映画より文化的障壁が高い TVドラマがフランスで DVDとして発売開始された事例は今度が初めて。

4月初めに発売開始された「茶母」1部では、ドラマ1回から 7回分が収録されていて、 9月に発売開始される 2部には 8回から最終回である 14回まで収録される予定だ。

また、 各話別に ‘ベールに包まれた死’‘新しい出発’ などのユニークな小見出しがあり、見る人の関心を誘発させる。

DVDのリーフレットには、プランス人たちに疎い韓国の情報、すなわち「茶母」が背景になった朝鮮時代に対する紹介と韓国の性(Family Name)に対する説明が添えられており、細心な配慮が引き立つ。

今回の「茶母」のプランス語版 DVD 発売開始が、現地での放送に繋がる可能性は勿論、イギリスとイタリア、ドイツ等地への配給拡大も期待される。

パクソニョン記者(sunyeon@epg.co.kr)

[EPG]2007/04/25
http://epg.epg.co.kr/epzinn/webzin_read.asp?ez_id=26189
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キムジェウォン、「'茶母' 出演固辞..今ようやく史劇に出演」
2006/12/12(Tue)
放送中のKBS 2TV水木劇「ファンジニ」(シナリオ/ユンソンジュ・演出/キムチョルギュ)を通じて好評を導き出しているタレントキムジェウォンが、デビュー 5年ぶりに史劇に出演するようになった事情を公開した。

キムジェウォンは去る11日午後、京畿道坡州ヘイリ文化村で「ファンジニ」撮影途中に進行されたインタビューで、このように明らかにした。

キムジェウォンは「デビュー後初めて史劇に出演するようになった」「去る 2002年に終映したMBCドラマ 'ロマンス' 出演直後、MBCドラマ局長様から '茶母'に出演しなさいという提議を受けた。」と打ち明けた。

彼は「当時 '茶母'がフュージョン史劇として制作されると言われていたが、 フュージョン史劇の概念的定義が曖昧な頃だったため、出たとしても似合わないようで出演を差し置いた。」「当時、私の頭の中には正統派史劇だけしかなかったし、トレンディドラマにだけ出演して来たこともあり '茶母'に出演することは易しくない決定だった。」と告白した。

キムジェウォンが当時「茶母」に出演したら、「ファンジニ」で呼吸を合わせているハジウォンとは、去る2004年に封切られた映画「愛しのサガジ」以後3回目の縁になったわけだ。

キムジェウォンは「ハジウォンさんとは '愛しのサガジ' の映画の前にも、何度かもっと会える機会があったが、様々な理由で会う事が出来なかった。」と話した。

彼はこの席で「初めて史劇に出演するので心配も多かったが、周辺で '思ったよりよく似合う'という話をして下さる」「スタッフたちもそうで、周辺の方々もそうで '思ったより韓服がよく似合うのね''思ったよりマゲがザよく似合うんだね''思ったより声が史劇によく合うのね'と言う。」と笑いながら話した。

一方、キムジェウォンは「ファンジニ」でファンジニ(ハジウォン)の愛を占めたキムジョンハンで登場、盛りの演技力を誇示して人気独占の真っ最中だ。

キムスジン記者 |

「moneytoday」12/12 10:00
http://star.moneytoday.co.kr/view/stview.php?no=2006121208593732811&type=1
【関連記事】
■キムジェウォン「減って行くファン、増えるアンチに果てしない挫折感」 
(「茶母」出演提議関連記事)
[gonews]2006-12-12 09:51
http://www.gonews.co.kr/common/result.asp?sFrstCode=002&sScndCode=002&sThrdCode=000&sCode=20061212095920663
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イソジン、「'茶母'はPD、俳優たちが皆拒否したドラマ」
2006/12/05(Tue)
俳優イソジンがMBC人気史劇「茶母」を撮影する当時に経験した難しさを告白した。

12月 5日午後 1時、ソウル鍾路区ホンジ洞サンミョン大学校ミレニアム館で開かれた ‘スター級とドラマペンドムに対する理解’と係わった講義で、イソジンは「‘茶母’は初めにPDたちが拒否したドラマだった」「結局、一度もドラマを作ってみたことがなかった新人イジェギュPDが引き受けるようになった。」と打ち明けた。

イソジンは「キャスティング過程でも困難が多かった。初めて試みる事前制作の上、検証されない PDが演出を引き受けてみると、多くの俳優たちが拒絶したと聞いた。」と伝えた。

初めにイソジンに入って来た配役もファンボユンではなくチャンソンベクだったと話した。しかしファンボユン役を演じる事にした俳優が急に拒絶するせいで、監督が新人キムミンジュンをチャンソンベク役に勧め、イソジンにはファンボユン役を申し入れるようになったこと。

イソジンは「初めてシナリオを受けた時から、表から見ても格好よいチャンソンベク役よりファンボユンの内面の姿に感動を受けたから、快くOKした。結果的により良く出来上がったキャスティングだったと思う。(笑)」とキャスティング秘話を明らかにしたりもした。

このような紆余曲折の結果誕生した「茶母」は、華やかなアクションとずば抜けた映像美、フュージョン史劇という新しいジャンルなどを先に立たせて‘茶母嬖人’という単語を誕生させて熱風を起こした。

イソジンはいとこの兄嫁と同時にサンミョン大言論映像学部 ‘マスメディアと情報サービス’の講義を引き受けているソクギョンイム教授の依頼で講壇に立ち、 1時間ほど講義を進行、終始一貫はにかむような笑顔をみせて、講義を聞く女学生たちの心をときめかせた。

イソジンは講義が終わる頃、学生たちに「私にも大学時代があった。今、考えてみれば大学時代位楽しかった時間は、再び来ないように思う。思いっきり友達と話し、お酒も飲み、未来を心配するよりは一日一日面白く過ごしたと思う。」「その翌日疲れれば、学校に行かなかったりもしたが、今は朝、私を待つスタッフが 50・60名もいるから、いくら大変でも必ず行かなければならないと、負担になることがある。」と学生時代を紹介したりもした。

イソジンは「私の人生に二度とそんな時期が来ないようだ。 皆さんも未来に対して息苦しがらずに充分に楽しんで、遊んで、勉強もほど良くしながら意味深い大学生活を送ったら良いと思う。」と人生の先輩として助言も忘れなかった。

キムジヨン記者hellow0827@osen.co.kr

[osen] 2006-12-05 14:57:17
http://oenter.gemmir.com/Enter_View.asp?code=210000&gisano=G0612050038
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イソジン「'茶母'で元々チャンソンベク役でキャスティングになった」
2006/12/05(Tue)
イソジンが高い人気を集めたMBCドラマ「茶母」の裏話を聞かせた。

5日、ソウル・サンミョン大学校の学生たちを対象にした'スター級とドラマペンドムに対する理解'を講義する中、「元々はチャンソンベク(キムミンジュン)にキャスティングされた」と明らかにした。

「茶母」は大きく成功したが、実際に始める時は演出するという人がいなくて、結局新人PDが引き受けるようになった作品。

イソジンは「当時キャスティングも大変だった。 国内では大変な事前制作システムの上に、検証されていない新人PDが演出するということで、かなりの俳優たちが断った。」と話し「実際、私のところにもシナリオが回りに回って来たことだった。」と伝えた。

チャンソンベクにキャスティングになったイソジンがファンボユンを引き受けるようになったのは、元々ファンボユンを演じるはずだった俳優が中途で降りたから。

イソジンは「私も '茶母' のシナリオを初めて受け取った時、表ではチャンソンベクが素敵だが、内面的に素敵なファンボユンがより気に入った」と話し「結果的に、より良く出来上がったキャスティングだと思う。」と伝えた。

一方、イソジンはトップスターとドラマの関係に対して「ドラマの成功は楽しさや完成度によるのであって、スターに頼るものではない。」との見解を明らかにした。

「茶母」の場合も、初めは「イソジンって誰?」「キムミンジュンって誰?」「ハジウォンは飛虎感」となどという冷たい反応を見せたと。

イソジンは自分が、ドラマ「彼女の家」「火の鳥」「茶母」「恋人」、 映画「無影剣」などでいつも苦難の連続だった人物を演じたのにも、いつもエリート的なイメージに対して「どうして私がエリートのイメージなのか分からない。エリートでもないのに、たぶん言論を通じて作られたようだ。」と伝えた。

現在、SBS 水木ドラマ「恋人」で組織暴力団ハガンジェ役で出演中のイソジンは、「今演技しているハガンジェ役が楽で良い。」と明らかにした。

ファンミニ記者 kunkoo@seoulmedia.co.kr

[stardocu]2006/12/05 03:12
http://www.stardocu.com/news/read.php?st_seq=39124&cate=AA
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チェヨンイン「一人だけど、メンバーたちの分までやります」
2006/08/24(Thu)
グループRed Sox出身歌手チェヨンインが一人立ちに拍車をかけた。

チェヨンインは去る19日、ソロデビューアルバム「the 1st my life」のタイトル曲「幻想が必要」で空中波申告式を支払った。 セクシーながらもさわやかな歌の雰囲気がチェヨンインのイメージとピッタリ遭うという評価だ。

チェヨンインの履歴はかなり多彩である。

チェヨンインは2000年、18歳の時に友達に応じてスーパーモデル大会に参加した。参加者の中で背が一番小さかったし(170センチ)、自分の服を着て、化粧も手を抜いた状態で‘突如’本選に上がった。「大会前日、チキン一匹まで全て食べたほど、モデルに対してよく知らなかった」という彼女は、結局、「お前は本当に運が良い」という言葉を聞いて、芸能界に入門した。

以後、演技はMBC ベスト劇場「美人時代」で始めた。
初めに受けたオーディションで、また‘突如’捉まった。「美人時代」は成形美人の悩みを扱った作品で、ソンイルグクとチョヘリョンが共に呼吸を合わせた。もっと運が良かったのは「美人時代」のADが、後に「茶母」を作ったイジェギュ監督だったということだ。「茶母」を撮るという話に、闇雲に尋ねて3回目のオーディションを受けたが、2月で結局ナニ役を引き受けるようになった。

「マネージャーとコーディネートを同行して現われた競争者たちの為、とても気後れしたものの、私が選ばれて、どんなに嬉しかったのか分からないです。小さな役であると思っていたが、本当に素敵なキャラクターだったです!」

「茶母」が ‘茶母嬖人’たちを量産して高い人気を集めたものの、チェヨンインは以後スランプに陷った。故郷である全南スンチョンから一人で上京して来て、芸能界の仕事をするというのが易しくなかったこと。

しばらく休息期を持ったチェヨンインは歌手に視線を回した。

「Red Soxというグループに合流しました。 ‘Lalala’という歌でちょうど活動を始めたのに、交通事故に2度も遭いました。 一度は私も大きな怪我をしました。 去年 10月頃、一日に地方スケジュール 4個を消化したんですよ。ソウルに戻って来る途中、マネージャーが運転して居眠りしたようです。 15トントラックの下に車が半ば入って行きました。腰と骨盤に怪我をしたが、まだ雨降れば少し痛いです。(笑)」

ソロになったチェヨンインはRed Soxのメンバーたちが全快するまで、救援投手に出たわけだ。

チェヨンインは「慎ましい朝鮮娘ナニを憶えている茶母ファンの方々は、今の私の姿を見て大変驚くでしょう」と話し「今度のアルバムで可愛くてセクシーな、多様な魅力をお見せしたい。」という抱負を現わした。

文/イヘリン記者rinny@sportsworldi.com

[世界日報]2006.08.24 15:02
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1510&PCode=0007&DataID=200608
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